ベイビーという言葉について。

たぶんそれは赤ちゃんという意味じゃない。

そう気づいたのはつい先日。PUNPEEがリリースしたニューアルバム「Modern Times」を聴き終えたときだった。

アルバムを聴くときは律儀に頭から飛ばさずに聞く。その中で記憶に残ったトラックに戻るという僕なりの儀式がある。いつも通りにその儀式をしようと思い、一番最初にリピートした曲がScenarioという曲だ。

Baby Baby もしいまもし君が

そのセリフを口にすれば

このドラマの勝率はまた

下がるから後にしとこう

この続きは 未だ書き途中だ

こんな歌詞で始まるScenario。男性目線のラブソングという感じで、男だったら確実に理解できるような歌詞がそこら中に散りばめられているような曲だ。この曲においての"ベイビー"は赤ちゃんという意味じゃない。恋人という意味であろう。

けどそこで話が終わったら面白くないだろう。けど僕は惹かれる”ベイビー”の使い方にある共通項を見出した。

それは、本来外に出てこない感情の発露であるということだ。

そもそも自分の彼女(彼女にすらなってない女の子になら尚更!)にベイビーだなんて海外で生まれ育って日本語が少し拙いヤツくらいしか自然と言えない言葉だ。

普通の日本人の感覚で言えば、まず使うことはない。

でも好きとか愛すとかいう感情は世界共通で、場所による感情表現の違いはあるだろうけど、その感情自体は同じはずだ。

ここからは私見なのだけど、”好きな人をベイビーと呼んでしまいたい”くらい好きになるみたいな感情っていうのは日本人の中の共通項としてあるのではないか。

そこまで強い感情がそこにはあるのに、言えない。そういったジレンマがベイビーという言葉にはある。

そういう言葉を歌詞という形で発露させているからこそ、惹かれるし、

強烈に共感できる。ベイビーという言葉にはそういう作用があるように思えるのだ。

 

最近TABFがあった。僕にとっての恒例行事になりつつあるTABFで、

秦レンナさんの「BABY」というzineに出会った。

これは筆者自身の失恋をテーマに実際の日記から感情の揺れ動きや、その時の感情に寄り添うような言葉を引用して、失恋前から失恋後に筆者自身がどう変化したかを記録したノンフィクションzine(そんなジャンルがあるのかは知らない)で、本当の話ということもあって、かなりリアリティがあるのだ。

タイトルもベイビーだが、終わりに書いてあった言葉がとてもよかった。

 

宇宙が膨張し続けているように、わたしたちの世界もまた、日々どんどん膨らんでいる。

いびつで、不安定で、壊れやすく、たよりない、屁理屈と狂気に満ちたこの世界。

だけど、どうしようもなく愛しいのは

それでもこの世界にたくさんの美しさがあふれているからなのかもしれない。

 

わたしたちは世界の一部であるということに、まだまだ気づくことができる。

そう、「世界」は、どこか遠くではなく、いまここにある。

 

それに、美はいつだって、あなたの瞳にの中に宿ってる。

 

だからBABY!きみの瞳に乾杯!

 日記がベースになっているzineなので、基本的に人の言葉も筆者自身の言葉に置き代えられて、読者には入ってくる。つまりこのzineにある言葉は本来筆者自身にしか触れられない感情であり、言葉なのだ。

本来隠されているはずの言葉であること。そして、

その言葉を裏付ける強い感情と、それに対する共感。

ベイビーにはそんな意味が宿っているのかもしれない。

 

S001

ついにSpotifyを始めた。

大学生が少し安いというのも魅力だった。

嬉しいことに「はやくプレイリスト作ってシェアしてよ〜」って言われる機会が多かったので、ついこの間プレイリストを作ることにした。

 

- Night Crusin' Vol.1 -

作業が終わったのは日曜日の夜だった。平日からあぶれてしまったタスクはいつも時間通りにはいかない。久しぶりに会う予定だった友達との集まりもキャンセルした。まだ電車は動いているけど、今から行ったところで楽しみきれない自分も見える。そういえば今日は一歩も家の外に出ていない。書類の山の麓にある財布を引っ張り出して、適当なパーカーを羽織る。散歩に出よう。そう決めて耳にイヤフォンを突っ込む。

江古田生活も残り4分の3になってしまったけど、今年はどんな夏になるのかな?

僕は所沢と江古田にあるしがない大学に通っている。

1、2年は所沢、3、4年は江古田に通うことになっていて、あれよあれよという内に江古田に校舎が移り、もう夏休みを迎えてしまった。

大学生活3回目の夏休み。言い方を変えれば最後から2番目の夏休み。

最近人生が加速したりと、生活にとても速さを感じる。

今年は同期も「ターリー屋でインターンする」とかギャグでいい出したりして、少しだけ大学生活も折り返しを迎えて、どんどん卒業というものに近づいているんだなということを感じざるを得ない。

僕はといえば、今年の夏も香港に行くとかポートランドに行くとか色々アイデアはあるけど、なんだか一人で夏を越すというよりかは、誰かと一緒に同じものを共有していきたいという思いの方が強いような気がしている。こういうことを書くと一瞬すごい儚さを感じるけど、人生は加速していく一方なので、儚いなんて思っている暇があれば、どんどん色々なものを経験して吸収して何かに生かしていきたい。

今年の夏はモノも作りたい。

以前作っていたEffortlessという”自己満旅行記”はいろんな場所で取材したものの、形にできていないし、今年の夏も色々な場所に行くことになりそうなので、そこも取材して、一気に編集して完成させていこうかとも考えている。

http://shunuchiya411.tumblr.com/post/155418635026/effortless-domestic-001-hakodatehokkaido

shunuchiya411.tumblr.com

 動画も一本だがアイデアがあるので、それも作れたら良いな。

なんだかんだでやっぱり時間がない。たぶん自分の好きなように何かを作るっていうことはこれが一個の区切りになるんじゃないかなとも思っていたりもするので、いつもだけど、今回も最後の気持ちで製作したい。

あ、これは少し宣伝でもあるのだけれど、僕の大学の芸祭では学内で流すテレビがあるのだけれど、そのテレビで趣味全開の企画が放送されるっぽい(と言っても何もまだ作っていない)ので、それもまた近くなったら告知なり何なりしていこうかな。

そんなこんなで今年の夏も充実した夏にしたい!

みんな、一緒にご飯でも食べて、くだらない話をしようよ。

 

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人生が加速している話。

人生が加速している。

 

大学生活も残り2年を切って、2017年はもう下半期に突入した。

2年前自分が思い描いていた大学3年の生活を送れているのかは、正直わからないけれど、そのわからなさを楽しめるくらいには今の自分に余裕がある。そして同じくらいに焦燥感もある。だって学生が終わってしまう。アメリカに行きたくても、すぐは行けないだろうし、映画だって1800円になる。未来に一抹の不安を抱えている。

最近なんだか夢の話をする友達が増えた。それだけみんな”今”に満足しているようで不満を抱えていて、未来をより良くしたいと考えているのかもしれない。周りの環境が時間を加速させてる。そう思った。

そんなことを考えていたら、このブログを思い出して、あぁマジで加速してるって気持ちになってしまった。モノには限りがあるし、終わらないことなんてどこにもないけれど、刻一刻と僕の時間は加速している。大学生活がカウントダウンを始めている。そんな気持ちになる。

この前、数えるほどしか行ったことがないナイトクラブにいった。オールすると翌日がつぶれるから嫌だったのだけれど、翌日なんの予定もない自分にクラブをパスするという選択肢はなかった。大きな音と強いお酒。そして昔のDJ時代にお世話になった先輩達。

そのすべての環境が、僕の夜を作って、僕を加速させていく。

酒を浴びるという表現がピッタリなほどに酒をあおって、Visionの滑りやすい階段を見事に転げ落ち、未だにお尻が痛いけど、なんだかその痛みも良いと思える、そんな夜だった。次の朝、スマホを開くと、一つの曲がシャザムされていた。

あの夜の思い出をすべて吐き出すことは出来ないけど、思い出は確かに曲に詰まっていた。そんなことを思える良い曲が僕のスマホにはしっかり収められていた。

明日、一週間後、半年後、一年後。

そのとき僕がどうなっているかなんて僕にもわからない。もしかしたら億万長者になっているかもしれない。億万長者になれたらいいな、くらいのユルさで日々を過ごそうか。そんなユルさをしっかり噛み締めて毎日を過ごしたい。1年後の今、後悔なんて絶対したくないし、言いたくもない。そのために今の自分に言い聞かせよう。

カレーライスの話

今日はどこに行こうか?いくつかの街が思い浮かぶ。

たまには美味しいカレーでも食べに出かけよう。そう決めると、夏バテで重くなっていた腰も軽くなった。

財布とタバコ、読みかけの本をポケットに突っ込み、神保町に向かう。本をペラペラとめくると、お腹がぐうぐうと鳴る。神保町ならキッチン南海だろう。気持ちが高鳴る。

店は今日も人が並んでいた。一番後ろに付き、本を開く。店内に入り、「カレー」と言うと、おばちゃんが軽い相槌を打ち、奥へと消えた。

水と同時にカレーが机に置かれる。スプーンを手に取り、大きい一口を頬張る。うまい。

スプーン一つとルーとライス。究極にシンプルな食べ物だ。カレーは気軽に腹いっぱいになるのも、おいしい。

スプーンを口に運べば運ぶほど額から汗が吹き出る。夏だからじゃない。汗が美味しさのバロメーターになっているんだ。そんなことを考えながら、汗を垂らしながらカレーを夢中で頬張る自分が少し笑えた。

僕のファンタジークラブ 後編

前編はこちら

僕のファンタジークラブ 前編 - それなら最後に踊ろうよ

 

5/24にリリースされた「FANTASY CLUB」

このアルバムを聞いて自分の問題意識と重なる部分もあってか、衝撃を受けた。ひしひしと感じるtofubeats氏の苦悩。それはストーリーとなってアルバムに載っていたように思える。

 

僕なりにこの「FANTASY CLUB」がどんなストーリーだったのかを、まとめてみよう。

 

M1のCHANT #1ではある種、今回のアルバムの結論を言っているようなイントロで始まる。知るということの恐怖。

移り変わる世の中はストーリー 

いつの間にか思ってない方に ああ

恐ろしいもの 触れてしまう時

これ以上もう気づかないで

CHANT #1 / tofubeats

CHANT #1

CHANT #1

「知って良いことなんて、もしかしたらないのかも。なら知る必要なんてない、気づく必要なんてない。」僕は歌詞を見て、実際に音楽を聴いて、視聴者に対して注意書きならぬ注意聞きをさせているなと感じた。「それでも聞くの?それってもしかしたら知る必要のないことかも。それでも聞きたいなら聞いてね。」と覚悟を迫られる気分にさえなるのだ。

そんな覚悟を問うたのちに流れ込んでくる楽曲が、前述した「SHOPPINGMALL」だ。

SHOPPINGMALL (FOR FANTASY CLUB)

SHOPPINGMALL (FOR FANTASY CLUB)

 「今の社会って僕はこう思うんです。でもそれって良いことには思えないんです。何を信じて生きていけばいいの?」という思いが素直に表現されている。

そんな暗中模索の中、「同じような思いを持っている人って、たぶんどこかにいる。どこかはわからないけど、大声で叫べば、もしかしたら声は届くかも。踊り続ければ、もしかしたら探し出せるかも。」と歌うのがM3「LONELY NIGHTS」

LONELY NIGHTS

LONELY NIGHTS

「もしかしたらこの人?でも違うかも?やっぱり本当のことなんてわからない。とりあえずは一緒に踊ったけど、よくわからない。結局孤独じゃん。」と一瞬見えた光明も、幻のような存在に感じて、一瞬は消えた孤独も、また見え隠れし始めてくる。他人と触れ合うことで解決しようとする、そんな自分以外の誰かを表現するためにも、YOUNG JUJUの存在は大きいだろう。そして、その後「答えはどこ?どうすればいいの?」となるのがM4「CALLIN」

真夜中のphonecall

見えない所からまなざしを

真夜中のphonecall

知りたくないこと 知りたいことがある

CALLIN / tofubeats

CALLIN

CALLIN

  知りたいことを知ろうとすればするほど、知りたくないことも耳に入る。確かにそれは辛いことだが、そういった過程を経て、M5の「OPEN YOUR HEART」が来る。

正解や正しさはたぶん自分のやりたいことをやれば見えてくるんじゃないか?自分のしたいことに素直になろう。やりたいことをやってみよう。という中でM6「FANTASY CLUB」M7「STOP」というインストの2曲が入る。

そうした自分と向き合った後に人と関わりあうと、不思議と世界の見え方が変わっていた。またそうしたマインドで向き合った人は、自分の持っていないものを持っていて、それはもしかしたら自分の求めているものかもしれない。知らないことを知ること、それが、自分を作り、ひいては求めているものに辿り着けるのかもしれない。そんなマインドを歌っているのがM8「WHAT YOU GOT」

夜から朝までparty

窓開けたらめちゃsunny

何を得たのかわからない

取り出して並べてみたい

新しい音たくさん浴びたいまだまだ 不完全

君と踊りたいしうまくいきたい

他のこととか別にいいよ

WHAT YOU GOT / tofubeats

WHAT YOU GOT

WHAT YOU GOT

 自分を知るという一つのプロセスを経た後の、人との出会いは確実に希望であり、そこに何かしらのモノやヒントを求めていた。そしてその出会いは、今までの自分には全くなかった穏やかな気持ちを授けてくれる出会いであった。その穏やかな時間から「答えなんてない。答えを出して何になる?それって愛の形に正解を求めるようなものだ」という気持ちをメロウに表現するのがM11「YUUKI」

踏み込んだ道の途中

きっと何かの感情

歩き出すその勇気

持っているだけできっと

大丈夫

愛しあう

It's Sunny Sunny Sunday

晴れた日には街に出かけよう

いつかは噛み合って

どんな時も君に

会いたいな

YUUKI / tofubeats

YUUKI

YUUKI

 この経験から得たものは大きく、そして意外なものであった。自分が忘れていたような感情、それは晴れた日曜日は外に出かけてみるとか、気づけば笑っちゃうようなことだったけれど、忘れていた感情を思い出すと、今自分が抱えている答えなき問題の捉え方も変わってくる。そんな自分にいろんな感情を思いださせてくれる、そんな存在に導かれている自分を歌うM12「BABY」

BABY 君だけを見て 君だけを見て

導かれる 導かれる ナナナナ

BABY / tofubeats 

BABY

BABY

 そして自分の求めている真実や答えがあると思ってきた、桃源郷のような存在の「FANTASY CLUB」はリアリティにかける存在ということをわかりつつも、どこかで出会えれば良いな、という希望を抱く存在として彼の中に居続ける。

FANTASY CLUB

入れたらいいな

信じたいことを

信じたらいいじゃん

でも簡単には

いかないしなって

音鳴らしたりした

FANTASY CLUB

CHANT #2 / tofubeats 

CHANT #2 (FOR FANTASY CLUB)

CHANT #2 (FOR FANTASY CLUB)

 ここまでのプロセスで、答えという一様なものを求めすぎていた自分に気づく。そしてそれは間違っているわけではないけど、たぶん答えなんて死ぬまでわからないかもしれない。もしかしたら死んでもわからないかもしれない。そんな永遠とも言える問いに対して、思いつめて考える必要なんてないのかもしれない。だったら自分にできること、それをやり続けていくことが、何よりも真実に近づける一つの答えだったのではないだろうか。

そしてその答えにたどり着いた氏自身の成長、そして気持ちがイントロ曲とアウトロ曲のCHANTにとてもよく表れている。自分の抱える問題を一つ乗り越えた感じがするのだ。

tofubeats氏のメジャーデビューしてからの音楽性は良し悪しではなく、かなりポップなものになった。First Albumしかり、POSITIVEしかり。音楽性を見失ったという印象ではなかったが、メジャーという世界で模索している姿を曲から感じた。

だが彼自身の一番の躍進となったきっかけの曲「水星」はポップさの中にどこか暗さがあるといったそんな曲だったように感じる。そして何より、人となりが表れていた曲だと思っている。それは今までただ逃げのように「エモい」と表現していたが、そのエモさこそ、tofubeats自身の人となりなのではないか。と「FANTASY CLUB」を聞いて確信した。

今回のアルバム、一番最後にやった作業がCHANT #2のアウトロを作ることだった。ピッチが下がっていってそのまま終わるのも悪くはないが、どうもアルバム全体が締まらないような気がして何日も頭を悩ませていた。

(中略)

いろいろ思慮を巡らせつつ、今回はフィールドレコーディングにしてみたらどうか、と思い、とりあえずレコーダーを持って、いろんな場所に向かってみて、音を録ってみることにした。普段外では音楽を聞きながら歩いているので、そこでどんな音が流れているのか、改めて見つめ直すことはとても新鮮で意味のあることだった。

例えば最後に聞こえる汽笛の音がそうだ。神戸にいれば実は結構な山側にいても汽笛の音が聞こえることはよくある。海に出るまで20分〜30分以上かかるであろう場所でも、山地を背にした神戸でそれが聞こえることはおかしいことではない。ただ、こうして録音してみないと汽笛が普段聞こえていることなんてすっかり当たり前になってしまい、忘れてしまっているのだ。教会の鐘の音もそうである。人間の耳というのは都合よくできていて、知らず知らずのうちに驚きのないものは奥の方に仕舞い込んでしまう。レコーダーで録音することによってそんな音の数々を洗い出していった。そうして自分が好きで何度も向かっている場所からいくつかの音を集めて、それらの音が重なって再生してアルバムは終了する。大体は自分が一人で気分転換に向かう場所の音だ。今回は晴れの日を待つ余裕もあったのもラッキーだった。

「FANTASY CLUB」初回限定ライナーノーツより tofubeats

自分を育ててくれた場所が荒廃し始めている悲しさ、そのことから感じる孤独。荒廃に対する少しの怒り。そんな一気にはとても消化できないであろう息苦しさ。それを解消してくれるのは、他人でも、環境でもなく、自分自身の行動や気持ちの持ちようでしかなかった。答えはいつも自分の中にある(のかも)、というような答えとも言えない、付け焼き刃のような答えでも、氏にとっては少しだけ胸を撫で下ろせるような、そんな答えであったに違いない。そんな一種の答えまでに辿り着くまでのプロセスをストーリー化したものが、「FANTASY CLUB」なのだろう。

 こうしてファンタジークラブは終わる。

僕のファンタジークラブはどこにあるんだろう。

そんな事を考えながら、無機質にイヤフォンから流れる神戸の汽笛を聞いていた。

 

 

前編はこちらから。

僕のファンタジークラブ 前編

後編はこちら

僕のファンタジークラブ 後編 - それなら最後に踊ろうよ

 

何から書けばいいだろう。

突き動かされるようにして、ブログを開いた。

いろんな物事が折り重なって、僕はアイスコーヒー片手にこの文章を書いている。

とにかく書いていこう。

5/24「FANTASY CLUB / tofubeats」が発売された。

 

2ヶ月前に「BABY」という曲のPVと共にアルバムの情報がリリースされ、この日を一ファンとして待ち望んでいた。

実際に聞いてみると、アルバムは想像以上の出来だった。前作のPOSITIVEやFirst Albumと比べると、そこには確実にtofubeats氏の人となりがとても現れているように感じたのだ。

アルバム全体としての完成度が高いと言ったが、一曲一曲を個別で聞くのではなく、アルバムを通しで聴いてこそ、このアルバムの真価は発揮される。今回のアルバムは、通しで聞かせることに意味を持たせた、今の音楽界では一風変わった切り口で展開されているアルバムだろう。

確かに今までつながりのあるアルバムがなかったかと言われれば、それはそうではない。僕をクラブミュージックの虜にしたキッカケのアーティストであるm-floは2001年にリリースした「EXPO EXPO」というアルバムで仮想の万博をイメージしたストーリー設定でアルバムが進んでいく。特にM1からM2の流れは当時の音楽界にとっては衝撃的な感覚だったと思う。僕自身も、あの当時にしてみれば面白い作品だったなと16年前を思い返して、今思う。

 

音楽は今激動の時代を乗り越えようとしている。レコード、カセット、CD、MD、ときて今ではmp3の時代。そして誰もが音楽というものに対して、お金を払うことを忘れた。とにかく音楽にとって今は、何が正しく、何が売れるものなのか。それが毎日常に変化しているような時代なのだ。その時代にポツンと、このFANTASY CLUBというアルバムは現れた。

tofubeats氏自身は前作POSITIVEをリリースするプロセスで「ニーズ」というものがわからなかくなったそうだ。

聴き手の好きなものなんてわかんないのに、「こんなん好きでしょ?」と出すのをいまやるのは失礼かなと。そんな風にやるのはやっぱり無理、というか……、あのときは「ポジティヴ」という言葉があったからなんとか明るい方向でまとまったんですけど、「みんなの総意」みたいな部分でいうと、もうそんなものはなかったと。

『POSITIVE』を作って、やっぱりそんなものはわかんないとあらためて思ったんです。みんながなにを好きなのかなんてわからないと、だったら、その「わからない」と真剣に向き合ってみようと。ノリや理屈で突破するっていうんじゃなくて、とにかく「わからない」と向き合ってみようと。

言ってしまえば当たり前の話でもあるのだが、音楽というものにそもそも一様なニーズがあることの方が特殊なはず。ここで確実に言えることは、今はアーティストがアーティストであり続けることの難しさ、であろう。

昔のアーティスト、特に僕のイメージで言えば、アーティストは

受け手からすれば神のような存在で、俺が好きなものを見てくれよ。俺が好きならお前らも好きだろ?という少しジャイアン的なものというか、押し付けなイメージが強い。「心酔」という免罪符を手に入れたアーティストが多かったのも事実だし、心酔を勝ち取れるキャラの強いアーティストがいたことも事実だろう。

氏の話に戻れば、音楽の一様なニーズがない中で、メジャーとして曲を売らなければいけないということ。そして自分のあり方というもの。そういったものをどういった形で社会に対して打ち返していくか。そういった問題意識があるように思えた。そしてアーティストである以前にクリエイターでもあるtofubeats氏らしい問題意識でもあるように思えた。

そして、そんな問題意識の裏には、氏の名前を世界中に知らしめるために必要不可欠だったインターネットが抱える問題も大きい。

インターネットで起こった事件といって必ず挙がるものの一つとして、welqの不祥事があるだろう。welqの不祥事は、インターネットという存在意義を改めて考えさせられる問題であったのと同時に、現在進行で社会に横たわる問題を表出させるキッカケにもなった。

その問題とはニーズという「数字の生む勘違い」である。

簡単にいえば、テクノロジーの進化によって様々なものが数値化できる社会になった今、

数字が良いこと=善いこと

と捉えがちになっている社会があること。そしてその結果、数字をただ追い求めたインターネットメディアが分かりやすく問題として社会に表出した。そして何よりも問題なのは

「数字が良いこと=善いこと」と「数字が良いこと≠善いこと」の

乖離が進んでいること。また後者の意見を支持する人が減少しているということ。それはつまり、測定できない価値は無価値と捉えられがちな社会になりつつあるということだ。

僕自身、この問題を「勘違い」と捉えているので数字至上主義になりつつある社会に疑問符を持っている。そして数字至上主義となった社会における、インターネットの世界はパソコンでインターネットを見るのが当たり前な世代からすると、前に比べて低俗なものになっている気がしてならないのだ。FANTASY CLUBのライナーノーツでtofubeats氏はこう述べている。

インターネットを始めたころは面白いものが昔よりもっと評価されやすくなる未来がくるぞ!と信じていたが、今となっては全く逆で、全てがバズみたいなものと結びつけられていけば、物事はきっとさらに低い所に流れていくだろうと思う。倫理みたいなものもどんどん無くなっていくのだろうか、そんな時に自分の聞きたいような音楽を作ってくれる人は出てくるのだろうか…と考えるとあんまり明るい気持ちになりにくい。本当に人間が求めているものは下世話な話題だけだったりするのかもしれない。

かつて氏自身を知るきっかけ、知られるきっかけであったインターネットの世界は文化的なものを次第に蔑ろにし、荒野のようなものになっているのかもしれない。 そんな考えが氏自身の孤独や、FANTASY CLUBの2曲目にある「SHOPPINGMALL」というものを生み出したと考えられないだろうか。

何がリアル 何がリアルじゃないか

そんなことだけでおもしろいか

何がいらなくて 何がほしいか

自分でも把握できてないな

(中略)

最近好きなアルバムを聞いた 特に話す相手はいない

SHOPPINGMALL / tofubeats

 またele-kingでのインタビューでは、

ポスト・トゥルース”が物語るのは、それがもはや「ぼくたちのインターネット」ではないということだと思う。もうそれは「インターネットの次の時代」の話というか、ぼくたちみたいに比較的最初のほうにパソコンでインターネットに触れていた人たちが陥っている状況というよりも、あとからスマートフォンで入って来た受ける側にしかいない人たちの話ですよね。

 というように、かつて自分が育ったインターネットという土壌の変化や、その変化から感じる孤独というものが手に取るようにわかる。そして今作FANTASY CLUBは、そういった社会に対する問題意識に対して、一種の答えを提示するとともに、氏自身の答えまでを得るプロセスが描写されているように思える。それがひとつのストーリーとなって僕たち視聴者に届いている。そのストーリーを僕は完全に感じてしまった。氏は自分の思いを曲に載せ、アルバムという曲順が重要になってくる作品で、ストーリーを持たせた。そしてどんなストーリーとして映ったか。そこにどんなストーリーがあったのか。それを模索していきたい。

 

後編はこちら。