見えない明日を知るために。
明日の夜10時世界がどうなっているか?
そんなことを柄にもなく考えたりする。けど分かるわけがない。しがない大学生の僕には世界の明日すら知ることなんて出来ないのだけれど。
それでも自分が何かを作る時、世の中に発表する時に、制作から発表までにかかる時間の間で生まれてしまう”時差”がとても気になっていた。
メディアに限らず、制作されたものが過去に留まっている感じが嫌で普通に考えたらそれは当たり前なんだけど、どうにか未来に残っていくというか、未来をベースに考えて作るメディアがあっても良いなって最近思う。
— Shun Uchiya (@_alltempo_) December 12, 2016
作ろう!って思った時の世間の雰囲気と、完成した!って時の雰囲気ってやっぱり少し違っている。もうそれは仕方のないことなんだけれど、それを仕方のないことだからって、見て見ぬフリはしたくないなって、思っていた。
そんな中、先月読んだ本で著者の有名TBSプロデューサーである藤井健太郎さんはこんなことを言っていた。
作り手が焦点を合わせるべきはその少し先。「いま」にジャストで合わせるのではなく「次はこれが面白くないですか?」を提示し続けなければいけないと思います。 何かを仕掛ける時は、イメージとしては世間の温度感よりも半歩くらい先を行くといい結果が出るような気がしています。
この言葉、ものすごくしっくりくるものがあって、自分の考え方を根底から覆されたという感じがした。
今までどちらかというと自分の考え方は、制作物を世間にアジャストして作っていく、というものだったのだが、それでは新しいことは出来ないし、どうしても過去の異物感が強くなってしまう。けど「こんなものが面白いんだよ」って提示していく制作スタイルは自分の中にはあまりなかったもので。自分の中でこの言葉っていうものは目新しさがあった。
だが、この言葉にはひとつ自分の中で腑に落ちないところがあった。
じゃあその”面白い種”っていうのはどう見つけてくるの?
っていう疑問。
藤井さんは「クイズ☆正解は一年後」や「水曜日のダウンタウン」など有名番組を多数企画制作しているプロデューサーで、今TBSのバラエティの牽引者と言っても過言ではないような存在。
確かにそんなビッグな存在が先述の言葉を吐けば、感銘するし、納得できるんだけど、じゃあそれを自分レベルに落とし込んだ時にどう変わってくるか。
自分にもそのメソッドを落とし込むにはどうすればいいのさ?
ってなっている自分がいた。
そんな疑問持っている話を友達にしたら勧めてもらった本がこれ。
コルクという著者エージェント業を主にするベンチャーの代表である佐渡島庸平さんが書いた本で、ドラゴン桜をや宇宙兄弟を世間に知らしめた人。最近NHKのプロフェッショナルにも出演されていた方。
この本はタイトルの通り、「仮説」を最初に持ってきて、その仮説を現実のものとするべく、今あるもの(情報とかね)で仮説を目に見えるような「現実」にしてしまえばいいじゃんっていう本。
この本の中で佐渡島庸平さんは、その「仮説」についてこんなように言っていた。
仮説を立てるときは、誰でも得られるような数字のデータではなく、「日常生活の中でなんとなく集まってくる情報」そして「自分の中にある価値観」のほうが大切なのです。
決断するためにわざわざ集めた情報の多くは「過去」のものです。それに頼ると、気付けば「前例主義」に完全に陥ってしまいます。
前例主義に陥らないためには「先に」仮説を立ててみることです。
そしてその仮説を補強・修正するために、情報を集めてくる。その順番が大切です。
それは、なるほどって感銘した瞬間でもあった。
つまり僕の疑問は疑問自体が違っていたのだ。
”面白い種”っていうのはどう見つけてくるの?
のではなく
”面白い種”ってどう作るの?
だったのだ。
面白い種、佐渡島庸平さんでいうところの仮説は「見つける」ものではなく「作る」ものだったのだ。佐渡島庸平さんの仮説を作るという話は、藤井健太郎さんの言っていたことをとても近い気がしたし、よりわかりやすいものであったことは間違いない。
そんな意見と同じようなことを言っていたものをもう一つだけ紹介したい。
みんな大好きPOPEYE。この動画、POPEYE創刊時編集長の木滑良久さんのちょっとしたインタビュー動画なのですが、これがまた同じようなことを言ってる。
雑誌作りなんてほとんど感性主体のね、作業でなければいけない
いまの時代でも熱烈に愛されてる雑誌の根底は感性だって言ってる。これって仮説が現実に変わってるって感じしません?僕はした。
このインタビューを改めて見返していたのが前日の深夜なのだけれど、今まで点として存在していたものが、どんどん繋がっていく感じがして、思わずブログを開いていた午前2時。
いろいろ書いて考えて、それでもまだ僕には
明日の夜10時、世界がどうなっているか?
っていうのはわからないけれど、
明日の夜10時、自分は何をしているか?
っていうことはわかる気がしたんだ。