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女性の幸せを考えてみた。

「美貌格差」
 
という言葉をご存知だろうか。
2015年、経済学者のダニエル・ハマーメッシュが論じたこの格差は「美人と不美人の生涯格差」について研究したもので、「美貌格差」はその結果が記されている書籍のタイトルだ。
その内容を簡単にここに記すと、

平均点の女性を基準にした場合、美人は平均女性よりも8%収入が多く、逆に不美人は4%少ないという結果が出た。これを大卒のサラリーマンの生涯賃金である、平均約3億円にあてはめて計算した場合、美人は約2400万円のトクをし、不美人は1200万円の損になるということ。つまり、美人と不美人の「生涯賃金格差」は3600万円にもなるのだ。

 というもの。今を生きる女性たちが「あの子は可愛いから」と言って、片付けてしまっていることを大真面目に研究した結果が事細かに記されている。

 

美貌格差: 生まれつき不平等の経済学

美貌格差: 生まれつき不平等の経済学

 

 

ところで最近では「女性の幸せ」を説くと言った類の書籍、ドラマなどが多いと、個人的に感じているのだが、私はそこから現代における「女性それぞれの幸せのカタチ」を少し考えていた。

 

現代の女性にもっとも浸透していると言えるのが、「東京タラレバ娘」だろう。

 これは「もっといい男がいる!」と思い続け、気付いたらアラサーになっていて、結婚に対して焦りを持ち始める、といった内容なのだが、これがまたリアリティに欠けている。エンタメ作品としては非常に面白いし、人間味は非常にある仕上がりなのだが、今の時代、仕事を放り投げてまで「結婚したい!」と思い女性は少ないのではないかというのが僕自身の肌感覚だ。(様々な人に読んでもらうために”ありがちな”設定をチョイスしたのかなとも思う)

 

だが、より女性の生態を表すものとして、僕の周囲でたびたび耳にするのが、

Amazonビデオの「東京女子図鑑」だ。

Amazon CAPTCHA

これは秋田から就職のために上京してきた女性(水川あさみ)が、如何にして東京に馴染み、東京に染まっていくか。それを恋愛や仕事模様と合わせて話が進んでいくドラマで、様々な男性と出会い、水川あさみがどのように変化していくのかが面白い部分だ。

ここから先はネタバレになるので、もし見ていない方がいたら、読み飛ばしてほしい。

 

最終的に水川あさみは新卒で入った会社の先輩で、転職しても相談役になっていてくれた言わば「最高の男友達」とマンションの一室を購入し、同棲しているシーンで話が終わるのだが、そのラストシーンで、水川あさみ自身が上京時に思い描いていた「理想像」とすれ違う。そして水川あさみはこう言い放つのだ。

これが私のハッピーエンディングかって?どうなんでしょう。

いつまでも上を見せられるこの街で、私と似たような強欲な女たちは目の前の幸せに100%満たされることがないまま、それでもこれでいいのだと、何度も言い聞かせるようにして一歩一歩歩いていくのです。

頑張りましょう?次から次に手に入れたいものが増えていくんですから

これを見た時、結局「負けたんだろ」と言ったのが正直な僕自身の感想だった。

いい男という抽象的な価値を性格やお金、地位などの面から模索したが、そう言った相手と結婚することはできなかった。”落ち着くところに落ち着いた”というのが僕の感想だった。受け手である自分から見えているものは幸せではないのに主人公が幸せそうにしていることに違和感を感じていた。

だがその考えを一気に正の方向に持って行く本とタイミングよく僕は出会うことになる。

それがこの本だ。

男性筆者が女性向けに書いた「良い恋愛」の教科書といった立ち位置の本なのだが、この中で「心の穴」という言葉が多用されている。心の穴とは、自分の性格のクセみたいなもののことを表しているのだが、文中で筆者は

「恋愛とは自分の心の穴を認め、相手の心の穴を理解することだ」

と書いていた。僕はこの「認める」という部分の捉え方が、この本を読むことで考え方が180度変わったのだ。この本を読むことで東京女子図鑑のラストで感じた”違和感”がスッと心に馴染んだのだ。

もう一度先ほどのセリフを見返してみよう。

ハッピーエンディングだと言い聞かせているわけでもなければ、これでいいと言い聞かせているという主人公が「折り合い」をつけているということが見て取れる。だがこの折り合いというものが付けられることはある種、強さの表れではないかと僕は思ったのだ。

理想を追い求めて、現実はこんなもんじゃないと現実を認めずに生きてきた東京女子図鑑の主人公。その結果、理想と現実の格差に耐えきれなくなり、トライアンドエラーを繰り返した。だがそうしているうちに、主人公の周りは結婚し、子供が生まれ、周囲がライフステージを上げていく間に、現実を否定し理想を思い求め続けていた自分はいつの間にか一人だけのような感覚になってしまった。その時に主人公は気付いたはずだ。「自分の周りの小さな幸せを大事にしよう」「自分はその幸せが一番ふさわしいんだ」理想は理想として、自分が今生きている現実は現実として、受け入れて認識したのであろう。その結果が、ラストシーンにはよく表れている。

確かに負けたかもしれない。でも負けていることを無視しているのと、認めているのでは大きい違いがある。認めたからこそ、折り合いの先に幸せがあるということにも気付けるのだ。それは彼女自身にとって、とても大きいことである。

話をドラマの世界から自分たちの現実に戻そう。このドラマと非常に似ている現実世界。理想を追い求めて現実を否定している人もいれば、すでに理想に折り合いをつけて、現実を受け入れている人もいると思う。

その中で折り合いをつけている人は、セレンディピティというものにも気付けるのだろう。

これは周知の事実だが、十人十色という言葉があるように、幸せだって人それぞれだ。人が羨む幸せの形も確かにあるだろう。だが自分にしか理解できない幸せ、それだってその人から見れば”幸せ”といえるだろう。

自分にしかわからない幸せ。

人から羨ましがられる幸せ。

本質的に幸せなのはどっちなんだろう。

その問いに対する答えはもう出ているかもしれない。