僕のファンタジークラブ 前編

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僕のファンタジークラブ 後編 - それなら最後に踊ろうよ

 

何から書けばいいだろう。

突き動かされるようにして、ブログを開いた。

いろんな物事が折り重なって、僕はアイスコーヒー片手にこの文章を書いている。

とにかく書いていこう。

5/24「FANTASY CLUB / tofubeats」が発売された。

 

2ヶ月前に「BABY」という曲のPVと共にアルバムの情報がリリースされ、この日を一ファンとして待ち望んでいた。

実際に聞いてみると、アルバムは想像以上の出来だった。前作のPOSITIVEやFirst Albumと比べると、そこには確実にtofubeats氏の人となりがとても現れているように感じたのだ。

アルバム全体としての完成度が高いと言ったが、一曲一曲を個別で聞くのではなく、アルバムを通しで聴いてこそ、このアルバムの真価は発揮される。今回のアルバムは、通しで聞かせることに意味を持たせた、今の音楽界では一風変わった切り口で展開されているアルバムだろう。

確かに今までつながりのあるアルバムがなかったかと言われれば、それはそうではない。僕をクラブミュージックの虜にしたキッカケのアーティストであるm-floは2001年にリリースした「EXPO EXPO」というアルバムで仮想の万博をイメージしたストーリー設定でアルバムが進んでいく。特にM1からM2の流れは当時の音楽界にとっては衝撃的な感覚だったと思う。僕自身も、あの当時にしてみれば面白い作品だったなと16年前を思い返して、今思う。

 

音楽は今激動の時代を乗り越えようとしている。レコード、カセット、CD、MD、ときて今ではmp3の時代。そして誰もが音楽というものに対して、お金を払うことを忘れた。とにかく音楽にとって今は、何が正しく、何が売れるものなのか。それが毎日常に変化しているような時代なのだ。その時代にポツンと、このFANTASY CLUBというアルバムは現れた。

tofubeats氏自身は前作POSITIVEをリリースするプロセスで「ニーズ」というものがわからなかくなったそうだ。

聴き手の好きなものなんてわかんないのに、「こんなん好きでしょ?」と出すのをいまやるのは失礼かなと。そんな風にやるのはやっぱり無理、というか……、あのときは「ポジティヴ」という言葉があったからなんとか明るい方向でまとまったんですけど、「みんなの総意」みたいな部分でいうと、もうそんなものはなかったと。

『POSITIVE』を作って、やっぱりそんなものはわかんないとあらためて思ったんです。みんながなにを好きなのかなんてわからないと、だったら、その「わからない」と真剣に向き合ってみようと。ノリや理屈で突破するっていうんじゃなくて、とにかく「わからない」と向き合ってみようと。

言ってしまえば当たり前の話でもあるのだが、音楽というものにそもそも一様なニーズがあることの方が特殊なはず。ここで確実に言えることは、今はアーティストがアーティストであり続けることの難しさ、であろう。

昔のアーティスト、特に僕のイメージで言えば、アーティストは

受け手からすれば神のような存在で、俺が好きなものを見てくれよ。俺が好きならお前らも好きだろ?という少しジャイアン的なものというか、押し付けなイメージが強い。「心酔」という免罪符を手に入れたアーティストが多かったのも事実だし、心酔を勝ち取れるキャラの強いアーティストがいたことも事実だろう。

氏の話に戻れば、音楽の一様なニーズがない中で、メジャーとして曲を売らなければいけないということ。そして自分のあり方というもの。そういったものをどういった形で社会に対して打ち返していくか。そういった問題意識があるように思えた。そしてアーティストである以前にクリエイターでもあるtofubeats氏らしい問題意識でもあるように思えた。

そして、そんな問題意識の裏には、氏の名前を世界中に知らしめるために必要不可欠だったインターネットが抱える問題も大きい。

インターネットで起こった事件といって必ず挙がるものの一つとして、welqの不祥事があるだろう。welqの不祥事は、インターネットという存在意義を改めて考えさせられる問題であったのと同時に、現在進行で社会に横たわる問題を表出させるキッカケにもなった。

その問題とはニーズという「数字の生む勘違い」である。

簡単にいえば、テクノロジーの進化によって様々なものが数値化できる社会になった今、

数字が良いこと=善いこと

と捉えがちになっている社会があること。そしてその結果、数字をただ追い求めたインターネットメディアが分かりやすく問題として社会に表出した。そして何よりも問題なのは

「数字が良いこと=善いこと」と「数字が良いこと≠善いこと」の

乖離が進んでいること。また後者の意見を支持する人が減少しているということ。それはつまり、測定できない価値は無価値と捉えられがちな社会になりつつあるということだ。

僕自身、この問題を「勘違い」と捉えているので数字至上主義になりつつある社会に疑問符を持っている。そして数字至上主義となった社会における、インターネットの世界はパソコンでインターネットを見るのが当たり前な世代からすると、前に比べて低俗なものになっている気がしてならないのだ。FANTASY CLUBのライナーノーツでtofubeats氏はこう述べている。

インターネットを始めたころは面白いものが昔よりもっと評価されやすくなる未来がくるぞ!と信じていたが、今となっては全く逆で、全てがバズみたいなものと結びつけられていけば、物事はきっとさらに低い所に流れていくだろうと思う。倫理みたいなものもどんどん無くなっていくのだろうか、そんな時に自分の聞きたいような音楽を作ってくれる人は出てくるのだろうか…と考えるとあんまり明るい気持ちになりにくい。本当に人間が求めているものは下世話な話題だけだったりするのかもしれない。

かつて氏自身を知るきっかけ、知られるきっかけであったインターネットの世界は文化的なものを次第に蔑ろにし、荒野のようなものになっているのかもしれない。 そんな考えが氏自身の孤独や、FANTASY CLUBの2曲目にある「SHOPPINGMALL」というものを生み出したと考えられないだろうか。

何がリアル 何がリアルじゃないか

そんなことだけでおもしろいか

何がいらなくて 何がほしいか

自分でも把握できてないな

(中略)

最近好きなアルバムを聞いた 特に話す相手はいない

SHOPPINGMALL / tofubeats

 またele-kingでのインタビューでは、

ポスト・トゥルース”が物語るのは、それがもはや「ぼくたちのインターネット」ではないということだと思う。もうそれは「インターネットの次の時代」の話というか、ぼくたちみたいに比較的最初のほうにパソコンでインターネットに触れていた人たちが陥っている状況というよりも、あとからスマートフォンで入って来た受ける側にしかいない人たちの話ですよね。

 というように、かつて自分が育ったインターネットという土壌の変化や、その変化から感じる孤独というものが手に取るようにわかる。そして今作FANTASY CLUBは、そういった社会に対する問題意識に対して、一種の答えを提示するとともに、氏自身の答えまでを得るプロセスが描写されているように思える。それがひとつのストーリーとなって僕たち視聴者に届いている。そのストーリーを僕は完全に感じてしまった。氏は自分の思いを曲に載せ、アルバムという曲順が重要になってくる作品で、ストーリーを持たせた。そしてどんなストーリーとして映ったか。そこにどんなストーリーがあったのか。それを模索していきたい。

 

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