ベイビーという言葉について。

たぶんそれは赤ちゃんという意味じゃない。

そう気づいたのはつい先日。PUNPEEがリリースしたニューアルバム「Modern Times」を聴き終えたときだった。

アルバムを聴くときは律儀に頭から飛ばさずに聞く。その中で記憶に残ったトラックに戻るという僕なりの儀式がある。いつも通りにその儀式をしようと思い、一番最初にリピートした曲がScenarioという曲だ。

Baby Baby もしいまもし君が

そのセリフを口にすれば

このドラマの勝率はまた

下がるから後にしとこう

この続きは 未だ書き途中だ

こんな歌詞で始まるScenario。男性目線のラブソングという感じで、男だったら確実に理解できるような歌詞がそこら中に散りばめられているような曲だ。この曲においての"ベイビー"は赤ちゃんという意味じゃない。恋人という意味であろう。

けどそこで話が終わったら面白くないだろう。けど僕は惹かれる”ベイビー”の使い方にある共通項を見出した。

それは、本来外に出てこない感情の発露であるということだ。

そもそも自分の彼女(彼女にすらなってない女の子になら尚更!)にベイビーだなんて海外で生まれ育って日本語が少し拙いヤツくらいしか自然と言えない言葉だ。

普通の日本人の感覚で言えば、まず使うことはない。

でも好きとか愛すとかいう感情は世界共通で、場所による感情表現の違いはあるだろうけど、その感情自体は同じはずだ。

ここからは私見なのだけど、”好きな人をベイビーと呼んでしまいたい”くらい好きになるみたいな感情っていうのは日本人の中の共通項としてあるのではないか。

そこまで強い感情がそこにはあるのに、言えない。そういったジレンマがベイビーという言葉にはある。

そういう言葉を歌詞という形で発露させているからこそ、惹かれるし、

強烈に共感できる。ベイビーという言葉にはそういう作用があるように思えるのだ。

 

最近TABFがあった。僕にとっての恒例行事になりつつあるTABFで、

秦レンナさんの「BABY」というzineに出会った。

これは筆者自身の失恋をテーマに実際の日記から感情の揺れ動きや、その時の感情に寄り添うような言葉を引用して、失恋前から失恋後に筆者自身がどう変化したかを記録したノンフィクションzine(そんなジャンルがあるのかは知らない)で、本当の話ということもあって、かなりリアリティがあるのだ。

タイトルもベイビーだが、終わりに書いてあった言葉がとてもよかった。

 

宇宙が膨張し続けているように、わたしたちの世界もまた、日々どんどん膨らんでいる。

いびつで、不安定で、壊れやすく、たよりない、屁理屈と狂気に満ちたこの世界。

だけど、どうしようもなく愛しいのは

それでもこの世界にたくさんの美しさがあふれているからなのかもしれない。

 

わたしたちは世界の一部であるということに、まだまだ気づくことができる。

そう、「世界」は、どこか遠くではなく、いまここにある。

 

それに、美はいつだって、あなたの瞳にの中に宿ってる。

 

だからBABY!きみの瞳に乾杯!

 日記がベースになっているzineなので、基本的に人の言葉も筆者自身の言葉に置き代えられて、読者には入ってくる。つまりこのzineにある言葉は本来筆者自身にしか触れられない感情であり、言葉なのだ。

本来隠されているはずの言葉であること。そして、

その言葉を裏付ける強い感情と、それに対する共感。

ベイビーにはそんな意味が宿っているのかもしれない。