生の希少価値

「白樺の樹液を北海道の人は飲むらしい」

ということをどこからか聞いて、少し興味を持っていた。

東京出身の僕からすると、樹液を飲むってことはかなり意外性があるのだけれど、現地の人からすると、特に普通なことで、しかもそれはかなり貴重なものらしいのだが、ネットで検索すると普通に売られていたりもする。

白樺樹液100% 森の雫

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謎が多い、この白樺の樹液、一体どんなものなのだろうか? 

白樺の樹液は栄養豊富でミネラルもたくさん含まれているから北海道の人はよく飲むらしいのだが、この樹液、採ったまま放っておくと数日で白濁してしまい、飲めなくなってしまうのだ。(最近は技術の進歩で製品化もできるくらいにはなった模様)

しかも年中採れるわけではなく、採れるのは春先だけ。

どうやらかなり希少価値の高いもののようだ。

なんだか北海道に行きたくなってきた。でもネットで買えてしまうのか。その中で、

最近は本当に自分が動く必要がなくなった時代だなってつくづく感じさせられた。

amazonはどこにいたって、何でも買うことができるし、

ustreamは好きなアーティストのライブを配信していたりするし、

kindleは常に図書館を持っているような感じだ。

別に僕は技術の進歩に対してのアンチがしたいわけではないのだけど、生で何かをするということの貴重性は逆に際立ってきてるなとも感じるのだ。

つい先日相撲を見に行ったのだけれど、それはそれは面白かった。

毎晩NHKでダラダラとやっている相撲中継。おばあちゃんやおじいちゃんが相撲を見ているのを見て、何が面白いのかと21年間思ってきた。そんな人間が相撲を見に行ったら、普通の人じゃ知らないような力士の名前を覚えるくらい相撲に熱狂して家に帰ってくるわけです。これって後から思えばすごいことだなと思った。生はすごい。

テレビでは感じれないことってたくさんあるんですよ。

お相撲さんが意外と良い匂いを放っていること、美味しいちゃんこが場内で売られていること、やっぱりこれはテレビじゃどうしても味わえないけれど、こういう細かい部分が相撲ってモノを面白いと思わせてくれる材料の一つ一つとなって、一人の人間を熱狂させているのだなと思ったわけです。

生物(なまもの)といえば、僕の大好きな最果タヒさんも「音楽は生物」だって言ってました。

きみの言い訳は最高の芸術

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 最近結構音楽は時代を駆け抜けてるなって思う場面があって。

この前SuchmosがThe Kidsというアルバムを出して、その中に「TOBACCO」という歌がある。

【Amazon.co.jp限定】THE KIDS(DVD付)(ステッカー付)

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この曲中の歌詞で

慢心してんじゃない? グルービーはもういない

モテない時代 昔はもっと簡単だった

安心が欲しいのか? ヒッピーはもういない

持てない時代

この歌詞見たときに、これは今の時代でないと理解できないかもなって思って。

やっぱり今の時代、みんなどこかに不安を抱えて生きていて、それは昔も今も一緒なのかもしれないけれど、その不安はインターネットというものを通して思ってるよりも誇大化してしまったり、身近に感じるものになってしまっていて。

そんな時代を生きているからこそ、こういう歌詞の良さもわかれば、悪さもわかる。それは、今聞いてるからこそわかることなんですよね。そして今じゃないと、もしかしたら耳にすら届かないかもしれない。そんな一期一会なものだと思って音楽を聴くと、同じ曲も違って聞こえてきたりして、またそれが楽しかったり。

これも生じゃないと、そして今じゃないと、わからないことなのかなって最近思う。

これだけ生でしか、わからないことがあると刻一刻と過ぎていく時間になんだか、名残惜しさを感じてしまうし、今という時間にどれだけ多くのものを吸収できるかってすごい感じてしまう。けどそれもまた時間の残酷さであるし、面白い部分でもあるわけで。

でもそんな時間の側面、生という側面、意識するのとしないのとでは、全然違う景色になるんだろうな。

 

ところで、そもそもSuchmos自体がヒッピーみたいな存在なのに彼らがヒッピーはもういないとか言うと、少し怖いネ。